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わたしの自己紹介とブログで伝えたいこと

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「わたしの人生このままでいいのかな・・・?」

これは私が高校を卒業し、社会人になってから、25歳になる今日までほぼ毎日心の中でずっと思い続けていることです。

はじめまして、さりょうです!
記事をお読みいただきありがとうございます!

この度、じんかい.comというブログを開設させていただきましたので、恐縮ですが私のプロフィールを紹介させていただきます!

【〜中学時代】どうして勉強なんてしなきゃいけないの!?

わたしは、1997年に産まれました。

生後まもないころに両親が離婚し、母と母方の祖父母に育てられるようになりますが、徐々に母が家に居なくなり、小3ごろから社会人1年目まで祖父母のみに育てられるようになります。

小3になった私は、祖父からホームセンターで野球のグローブを買ってもらった事をキッカケに野球にハマり、そこから卒業までほぼ毎日壁当てをするようになりました。

小5になり、祖父が地元の電気屋で買ってきた格安パソコンを触りはじめるようになります。

ネットサーフィンをする程度で、プログラミング等に触れるようなことはありませんでしたが、テレビに比べて自分の知りたい情報を知れるため、パソコンという存在にワクワクしたことだけは覚えています。

なんとなく毎日を過ごし、いずれ大人になることを考えていなかった私は、

なんでみんな勉強なんてつまらないものやるんだろう?

と思いながら、そのまま地元の中学校に入学し、野球部に入りました。

中学でもわたしは相変わらず勉強をせずに野球に打ち込みましたが、努力も才能も中途半端だったので県大会に出ることもなく、スタメンと補欠を行ったり来たりしていました。

部活の引退間近になると、周りで一緒に遊んでいた友達から「進学」についての話題が増え、

え!?みんな将来についてこんなに考えているの?

と、自分が何も考えていないことが恥ずかしくなりました。

一方のわたしは、相変わらず勉強などまともにしたことがなかったため、学年の180人くらいの中で下から10〜20番目くらいの学力しかありませんでした。

このまま人生詰んでしまうのでは・・・!?

と思った私は、あまり裕福でない祖父母に頼み込んで塾に通い始めるようになりました。

その塾は体育会系で、ロジカルより気合と根性で学力を上げるような塾でしたが、熱量の高い講師と勉強することによって、テスト順位は上から20-25番目になり偏差値は70手前まで上がるようになりました。

そして

  • いずれは社会人として働くことになる
  • これからは間違いなくよりITスキルが必須になる

という理由で周りの人に反対されながら県の中では一番頭の良さそうな情報系の学校(とは言っても偏差値55程度)に進学しました。

【高校時代】勉強すれば正しい社会人になると思っていた

高校では中学の時勉強しなかったトラウマがあるため、友達とはそこそこ遊びつつ、先生の前ではなるべく勤勉に振る舞うようにし、テストでも卒業まで1番になれるように勉強をしました。

そして進路選択では、好きでもない勉強で1番を取り続けなければいけないプレッシャーで勉強に疲れてしまったため、

どうせ社会人になるなら早く社会人になったほうがトクじゃない?

と自分に言い聞かせながら「就職」を選択し、さらに自分を見失ってしまっていた私は、自分の好きではなく他人から良いと思われそうという理由で「公務員」と「有名企業の事務職」に絞り込み、

公務員の倍率にビビってしまったわたしは「有名企業の事務職」に面談に行くことに決めました。

面談当日には、正直自分の全く興味のない職種だったため事前に覚えた面談対策で自分なりに熱意があるように振る舞いました。

そして数週間がたったある日の授業中に先生から内定の合否についての呼び出しがありました。

結果は不合格でした・・・。

それまで安全圏の中で挑戦していて、資格も進路もほとんど失敗したことがなかったため、正直「マジか」とは思いましたがネームバリューで決めてしまっていたため、意外と落ち込んでいませんでした。

むしろ教室に戻った際に受かると思っていた友人から「受かった?」と聞かれて、「落ちたわ〜」と比較的明るく答えると複数の友人からなぐさめられ、むしろ自分がフォローしているという中々カオスな状態となりました😅

高校の就活は、大学と異なり1社ずつの就活となるため、2社目を受ける人(=1社目に落ちた人)が教室に集められ、「少ない人数」と「少ない求人票」を眺めながら、あまり何も考えず社名にIT用語が入っている会社に面談を受けました。

将来にどうでも良くなっていた私は当日までFPSゲームをしながら、面談を受けましたが無事合格することができました。

【社会人〜現在】理想の仕事が見つからない? ← 他人任せだから当たり前!

そして晴れて社会人となった私は、少し圧力のある研修に違和感を持ちつつ、辞令をいただきました。

最初はPCのセットアップをメインとする部署に配属となり、最初は作業者として働きました。

  • 使ったことがない端末等を触ることができること
  • より効率的に作業する方法を考えること

で最初はある程度楽しむことができていましたが、数ヶ月もすると残業の常態化とツールで自動化できそうなところを業務の忙しさで手が回らず、短絡的な力技で作業をしていることに違和感を感じ始め、

なんで人がやらなくても良い作業を人生削りながらやっているんだろう?

と思いはじめました。

そう思いながら10ヶ月経ったある日にかなり大手の客先常駐に配属となりました。

仕事が変化する期待と新しい人間関係の不安がありましたが、まだ18歳でおそらく社内で一番若い事とお客さんも人柄が良い方が多く、人間関係の不安は杞憂に終わりました。

しかし、

  • 直属の上司(定年間近)があまり仕事をせずとも給与が2倍以上差があること
  • 聞くだけの会議と誰かが居なくなっても仕事が回り続ける仕組み(いわゆる大企業病)

に自己肯定感が下がってしまい、ほぼ残業0でホワイト企業でしたが、家に帰ってひとりで泣く事もあり、もし転職するなら大企業だけは働くまいと決めました。

そうして会社で○○○○年☓☓月☓☓日に会社を辞めるというエクセルを作りながら、副業にチャレンジしましたが、しばらくすると、ついつい終業後や土日にはネットサーフィンをしてしまう日々が続きました。

そうして副業で1円も稼げない日々でしたが、本業のメンタルが限界に達し、今後のあてもないまま自社の上司に退職する旨を伝えたところ、配属先の近くのカフェへ呼び出され、

  • もう少し頑張ったら配属変更する
  • 会社は君を必要としている

といったニュアンスの事を言われ、子供だった私は上司の発言を素直に受け止めてしまい、退職を思いとどまる事になりました。

そうして感情を押し殺して仕事をしてさらに2年が経過したある日に自社の上司から配属変更の旨が伝えられました。

場所は新人時代にいたPCセットアップ部門で、展開のツールを作る仕事でした。

客先で3年間も働き、無感情を働く術を身に着けていたため、自社に戻ると会社が家から遠い上に残業も増えるため、正直行きたくない気持ちがありましたが、いざ働いてみると、

  • 必要に迫られているおかげでプログラミングが上達していくこと
  • 自分作ったバッチによってみんなの仕事がどんどんラクになっていくこと

に残業0以上の喜びを感じていました。

正直、プログラムを作る仕事だけであれば、

やっとやりたい仕事見つかったかも!!

と思っていましたが、実態は客先の申請業務のサポートもあり、複雑な社内システムを覚える必要がありました。

この作業は「他に応用できないスキル」かつ「創造性のようなものはいらない作業」のため、自分にとって面白くなく、頭にも全然入ってこないことを実感しました。

一方、ツール側も作れば作るほど新規で自分で考えて作るツールは減り、ほとんどは既存のツールの保守業務となり新しくツールを作れる喜びも徐々に減ってきました。

既存のツールをいじるだけであれば、IT未経験の新入社員が入ってきても半年程度働けばやる気があれば扱えるようになるので、

5年間も今までなにをやってきたんだろう・・・?


とまた疑問を感じ始め、さらに10個上の先輩もほとんど同じことをしているため、

このまま惰性で働くと、死ぬ前に絶対後悔するな。。。

と感じ始めて、別の開発企業に転職するための勉強を始めました。

最初は前に副業に挑戦したときと同様に、ついつい時間が空くとダラダラしてしまう日が続きましたが、習慣化について学ぶことによって、ある程度勉強を継続できるようになりました。

そしてある程度スキルを身に着け、転職活動をしていたある日にふと、

man_question

このままプログラムをやり続けた先に理想の未来があるのかな?

と考え始め、マインドマップに職種や業態ではなく、将来像や人生観をひたすら書き続けた結果、理想の未来ではないことに気が付きました。

そして色々考えた結果、ブログを書き始めることにしました。

プログラマーへの転職直前からなぜブログを1から書き始めることにしたかは別記事で詳細を書きたいと思っていますが、これが私がブログを始めるまでのざっくりとした経緯です。

ワガママな凡人が「逃げ」ながら生きていく

社会人になってから、転職はしていないものの色々な業務に関わりましたが、

どこにも自分の居場所が見つからない

という喪失感が常に心の片隅にありました。

喪失感と言えば聞こえは良いように聞こえますが、とにかくワガママであるということにほかなりません。

細かすぎることで言うと、今日の気温は6度で会社の空調の効きが弱いため、とても寒かったです。

そのような日にはおそらく他の方であれば、

寒いけどしょうがない → 上着着込むか

となると思いますが、自分の場合とにかくワガママなため、

なんでこんな寒いところで働かなければならないの? → 家で働きたい → 会社やめたい

まで飛躍して考えてしまいます笑

このようにワガママな人は成功者にも少なくないと思いますが、その方々と圧倒的に異なる事はただワガママなだけということです。

成功者のようになにかを失った代わりにほかで才能や努力ができるわけでもなく、

  • 国立高校の不合格にビビって県立高校に進学
  • 金銭面を言い訳に勉強から逃げて大学受験をあきらめる
  • 将来を考えず、名前だけで就職先を決める

というように「逃げ」続けてきた人生です。

そんな何もとりえのない人生を送ってきましたが、他人に面白がられたり変人だと思われている事が多いと気が付き、自分の中で下記の3つの特徴があることがわかりました。

1つ目は好き嫌いが激しいということです。

好きな人やツールに関しては、頼まれてもいないのに長々と話し「興味ないよな・・・」と思いつつプレゼンが止まらなくなります。

一方嫌いなものに関しては、すぐに距離を取り一切関わろうとしなくなるので知り合いからは「すぐ顔に出るね笑」と言われます。

2つ目は好奇心が高く飽き性ということです。

私は食べることが大好きなのですが、ほとんど毎回違うものを食べますし、むしろ自分の苦手な食材をすすんで食べることもあります笑

たまにお酒を飲む際にはハイボール・焼酎・日本酒・サワー等毎回必ず違うものを頼みます。

他の方と一緒に食事をさせてもらった際に、毎回同じものを食べたり飲んだりすることを不思議だと思っていましたが、むしろ同じものを食べる人がほとんどで、自分のほうが珍しがられている事を知り驚きました。

自分の中では未知のものの可能性を知りたいという探求心がありますが、

  • 美味しいものを食べられたらそれでOK
  • そもそもそこまで食事に興味がない

というシンプルな理由で同じものを選択していることわかりました。

3つ目はとにかく考えることが好きということです

私はなにか選択肢を与えられた場合、マインドマップにとにかく選択肢とそれぞれのデメリットや感情をずっと書き殴る事が多いです。

わたしの中では考えることばかりに気を取られて、すぐに行動しないことをコンプレックスに感じていましたが、他の人になにかを相談された際に、大抵悩みぬいた後の答えを提案できるので、相手に感謝される事がよくありました。

以上の3つの特徴を考えてみると、

  • 自分が一人で考えている知識を他の方に発信すると喜ばれるのではないか?
  • さらにそれを仕事に出来たら理想の暮らしになれるのではないか?

と思ったのがブログは始めたきっかけです。

現在1円も副業で稼いだことがない私ですが、
凡人がどうにか「逃げ」ながら人生の活路をみいだす様を共有していきたいと思います

今後ともよろしくお願いいたします🙇‍♂️